自然=Spirit

Heart=心臓=火(生命力)

 

その人が自分自身を信じる場所

その人の生命を動かしていく領域

血液を送り出す力を司る領域

 

ここは感情を感じるのに近い場所でもあります

遊び心があり

ノリが良くて

軽快で笑い上戸ですが

この領域だけではすべてを生きることは難しいのです

その反対側にある自分の魂=水が同じだけ必要になってきます

 

soul=肚=魂(水)

肚=魂(水)の領域と繋がっていることはとても大切です

ここは自分自身が認知していない範囲

静かでとても深く

空が暗い時は暗い水に

空が明るいときれいなブルーに

水はそのもの(真実)を反射して映し出します

 

広い範囲と一体になることも

時と場合によって水蒸気や氷など

姿かたちを変えることもあります

大きな流れに身を委ねるという事を学んでいく領域

 

血管の中にもし血液(水=魂)が無かったら

心臓(火=生命力)が動いているだけで意味がありませんし

いくら血管の中に血液(水=魂)があっても

心臓(火=生命力)がそれを送り出さなければ動きは生まれません

 

お互いに無くては意味を持たない関係

それが

火と水です

 

両者が協力し、お互いを発揮しながら一緒にいること

繋がっていることが

水と火の交じり愛となり

虹が自然とかかっていきます

 

水と火が一体になった虹は

Spirit=自然

 

どれを置き去りにしても本当の意味では進めません

全てがあなたの一部なのです

 

 

肚(水)と心(火)が繋がった時に

本当の意味で私たちは進化していきます

 

 

自分のどこか一部を物として扱い

そこへの感謝が無いことは

顔色から生命が消えていくことに繋がります

 

 

全てのエレメントがあって循環している

この地球への仕組みに感謝が湧いてくることは

自然=Spirit

となっている状態です

 

その歓びと感謝を

現せるこのカラダに感謝を込めて

 

 

 

救ってくれる「なにか」はもう一人のあなた自身

あなたを救ってくれる「なにか」はありますか?

 

「それ」によってあなたが救われているのだとしたら

「それ」と同じエネルギーが自分自身の中にあります

 

「それ」が美しく見えるのではなく

「それ」を美しいとみるあなたの中にもともと「美」があります

 

 

必然の機会において見失ったもの、切り離したものが

目の前の「それ」として現れ

自分の中にぽっかり空いた空間に

風が吹き命が宿る

 

「それ」を想う時、胸が熱くなるのであれば

それはあなた自身の中の熱が動くからです

 

そんな対象がいるあなたは

むしろあなた自身が「それ」なのだという事を思い出していこう

 

たった今自分の立っているフィールドに自覚的になろう

誰かに魅せられ

誰かに憧れ

誰かになろうとすることは自分自身から遠ざかりますが

誰かによって生まれたと見える自分に起こる反応(感情)から

さらに内側に向かっていくと

まだ見ぬ自分自身と出会うこともできます

 

「誰か」とはキッカケであり

そこから生まれたエネルギーは

良いも悪いもすべて自分自身の内側のものです

 

傍観や客観は

別のフィールドに生きる

役者を前にした時に起こる反応であり

 

誰でも自分の今立つフィールドにおいては

自然に当事者となります

 

そこに優劣を感じる時には

あなたはあなたオリジナルのフィールドが

用意されているのだということに氣づき

自ら立つタイミングなのかもしれません

 

もしくは既に立っているフィールドがどこなのかに氣づく時が

近付いているのかもしれません

 

フィールドとは

今自分が立っている場所であり

ひとつとは限りません

どのフィールドにおいても自分のエネルギーと他者のエネルギーに

自覚的であること、境目をニュートラルにとらえていることが

あなたをどんどん自由にしていきます

 

フィールドは「囚われ」から自由になる程に

何層にも現れ

 

次第に

全てのフィールドにおいて

優劣などなく

同時多発していてただそうで在ることを体感します

 

たった今、当事者として意識のあるフィールドは何なのか

自分の立っているフィールドに自覚的になろう

本当に大切なことは目には見えない

本当に大切なことは目には見えない

見えない「何か」は確実に常に在る

 

見えるものを観れるのならば

同時に

見えないものも観ることができる

なぜなら「見えるもの」以外のものが「見えないもの」なのだから

 

そこに認識する以外の「空間・間」を観てみよう

全てが一瞬にしてひっくり返ったように

そこにはあなたが長年求めていた「何か」が在る

 

そして

いつの時も

常にすべて揃っている

 

毎日

毎瞬

見えないものも一緒に抱きしめよう

 

 

重ねるということ

 

毎日を
「重ねている」という意識は

一直線上に起きていることではなく
重ねることで「手に入る」結果とは
関係していません

過去と未来は直線では繋がっておらず

自らが勝手に設定した「結果」に向かうことで
手に入る領域に「足りる」は存在しません

そもそも
自分は今「なに」を重ねているのか

手を伸ばして
触れてみよう

調律について感じてきたこと

ピアノは調律しても

演奏しないと誰にも届きません

 

通常88音あり

まずは1つの基準を決めてから

低音から高音までの音の配置を

創っていきます

 

隣との距離感

3つ、4つ先との距離感

8,11,12,16と聴きながら

全てが個々を発揮できる

ちょうどよい位置を割り出していきます

 

中音~高音部はひとつの音程に対して

3本の弦が張ってあります

 

これは低音から高音まで

全体が調和していくのには

1本の弦では音量が足りない為です

 

そして同じ音程である

3本の弦がビタッと1つの音として響くように

調律していくわけですが

一本ずつ音質が違うため

 

3本の弦で

1つの音となるのには

その時々でバランスのとり方が異なります

 

中には1本で唸っている弦が存在することがあり

そういう時は

他2本の弦で相反の唸りを敢えてつくることで

唸りが消え

3本が1つの伸びやかな音となる場合もあります

 

しかし

1本で目立ってかなり高速で唸っている場合においては

その唸りに囚われず

3本それぞれの基音(本質の音)を

迷いなくピッタリに合わせることによって

1本の唸りが遠くで鳴りながらも

伸びのある個性的な魅力となる場合もあります

 

調和とは

個々が本質を発揮した時に

本来勝手に出来上がっているものでありますが

 

本質を尊重し合った上で

個々の歩み寄りによって

一体感のクオリティをあげていくことも

楽しみのひとつです

 

全てを殺すこともなく

 

一本の唸りに全体が囚われることもなく

 

なんなら唸っていることすら全体で受け入れて

どう活かすのか

個性的な完成度として楽しむことでもあり

 

どうして1本でこんなに唸っているんだ!と

唸らない弦になるように何かを施しつつ

思い通りにならないことを受け入れるまでに

ものすごいエネルギーを消費したり

 

その時の采配を受け入れず

演奏会を中止にするほどに拘ることも探求のひとつでもあり

 

常に理想としてある

自分の望み通りに完成させようということに

囚われすぎること自体が

ピアノ以前に

自分自身の調和から遠ざかることであったりもします

 

そして言ってしまえば

全てがビタッと本質寸分の狂い無く合っているピアノを弾いていて

素晴らしいという方も

面白くないという方もおり

 

ちょっと狂っているくらいが好きだという

演奏者の方も多く

 

ただただピュアに本質がダダ漏れているのも

経験と共に増える懐や表現の幅を楽しむのも

 

何に魅力を感じるかもそれぞれに

 

ピアノもカラダも小宇宙

 

源へと近づいていくと

どれも同じで在りながら

ひとつとして同じものはなく

いつもカラフルで面白い

 

人間も然りです